大多喜について

本多忠勝
徳川四天王と謳われた武将
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑として崇められた。生涯で参加した合戦は57回に及ぶが、かすり傷一つ負わなかったと伝えられている。

大多喜城
江戸を守るための重要拠点
大多喜城(おおたきじょう)は、現在の千葉県夷隅郡大多喜町にある日本の城。初めは小田喜城(おだきじょう)と呼ばれていた。戦国時代末期に武将本多忠勝が江戸を守るため入城した。現在の天守は1975年に1835年の図面を基にして再建されたもの。

大多喜城下町
本多忠勝のもとで繁栄した城下町
房総半島の真ん中に位置する大多喜町は、東京から1時間半の場所にある。大多喜城の城下町としてのおもかげが今も残り、文化財指定を受けた屋敷や町屋が残る「房総の小江戸」として、四季折々の風景や豊かな自然を楽しむことができる。

夷隅神社
歴代大多喜城主が崇敬
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を御祭神とし、縁結びのご利益があるといわれる神社。社殿は1587年に里見氏が再築したと言われる。以後、本多忠勝より代々城主の武運長久の祈願社として崇敬されてきた。周囲に玉垣を廻し、均整のとれた重厚で美しい社殿。



